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北本自然観察公園 自然観察記録 2002年11月 |
2003年1月23日更新
埼玉県自然学習センター
【2002年11月30日(土)】
○今でも公園の草原や湿地で、セスジユスリカと思われるユスリカが大量に発生しています。日中に気温が上がり小春日和になると、木陰などでユスリカの蚊柱を時折見かけます。幼虫は赤ボウフラやアカムシといわれ、生物的酸素要求量(BOD)・化学的酸素要求量(COD)のかなり高い汚い河川や生活廃水などが入っているかなり汚い水の中に棲んでいて、ヘドロを消化し、水質浄化に役立つともいわれています。成虫になると人を刺すことはありませんが、群飛して蚊柱などを作り、アレルギー疾患の原因抗原になるともいわれ、いわゆる「不快昆虫」の代表にされています。
【2002年11月29日(金)】
○今朝、八ッ橋が架かっている池に薄氷が張り、冬が駆け足でやって来ています。この時季に北の方から日本に渡って冬を越す冬鳥は、主にシベリアなどの大陸から日本にやって来ます。特にジョウビタキやカシラダカ、アトリなどの小さな鳥は、天敵を避けるために夜中、月や星の光を頼りに、一晩の内に日本海などの海を越えるといわれています。鳥は「鳥目」で夜間は視力が弱いと思われていますが、多くの渡り鳥が夜間に渡ることから考えると、鳥は「鳥目」ではなく夜間でもよく見えるのではないかと推測されます。
【2002年11月28日(木)】
○ずんぐりとした森林性の鳥のヤマシギが猟友会の方からセンターに持ち込まれました。この鳥は狩猟鳥ですが、珍しいので剥製にして教材に使うことにしました。ヤマシギは夜行性の鳥で額が灰色で後頭部に黒い斑紋があり、日中は雑木林の中でほとんど動かず、夕方から夜にかけて活動し、主にミミズや昆虫などの動物食の餌をとります。警戒心が強く目は360度の視野があるといわれており、人前に現れることは滅多にありません。また、卵を抱くのも雛を育てるのもメスで、オスは夜中に縄張りを宣言して飛び回るだけです。
【2002年11月27日(水)】
○頭のとがったスズメよりも少し大きめの鳥のアトリが、高尾の池の先の葦原の柳の木の枝に10羽ぐらい来ていました。濃紺と橙色と白色が入り交じった美しい鳥で、シベリア方面の大陸から渡ってきますが、いつも群れをなして行動しています。場所によっては数十万羽の大群に達することもあり、戦前はカスミ網によって乱獲されたといわれています。葉の落ちた枯れ木の枝にアトリが群れをなして止まると、枯れ木に花が咲いたように華やいで見えることから、漢字では「花鶏」と表すようになったものと思われます。
【2002年11月26日(火)】
○高尾の池や湿地では、ガマやアシの穂が目立つようになりました。ガマの穂は端からほどけて長く伸びた糸状の綿飴のような穂綿になり、ススキのようなアシの穂は風に揺らいで水面に風情ある影を落としています。ガマは「因幡の白兎」、アシは「豊葦原の瑞穂の国」の神話などで知られており、この公園のようにガマやアシの穂がある風景は、私たち日本人が古くから慣れ親しんだ原風景であるといえます。アシの花をこよなく愛した「不如帰」や「自然と人生」の作者徳富健次郎は、自分の号を蘆花と名付けています。
【2002年11月24日(日)】
○公園のアシ原などでウグイスの「チャッ、チャッ」という笹鳴きがよく聞かれるようになりました。笹鳴きとは他の鳥でいう地鳴きのことで、昔から日本人はウグイスの鳴き声に惹かれており、ウグイスの地鳴きまでも特別な扱いをして笹鳴きというようになりました。はじめは漢字で小さな目立たぬ声という意味で「小鳴き(ささなき)」と書いていたのが、ウグイスは笹原に巣を作ることが多いということで、その習性から「笹鳴き」の字を当てるようになりました。
【2002年11月23日(土)】
○ムクドリぐらいの大きさのツグミが、冬鳥として公園に渡ってきています。ツグミは個体毎に彩りの差異が大きく、通常は目の上に白い筋があり、胸には黒い斑点、翼は赤味のある茶の色をしています。肉が美味しいことからかつてはカスミ網の標的にされ、大量に捕獲された時代がありました。そのせいか、警戒心が非常に強い鳥です。寒さが厳しくなるにつれて地上に降りてきて、両足をそろえピョンピョンと歩いては立ち止まり、胸をそらせて静止しながら昆虫などの餌を探します。日本ではツグミのさえずりを聞くことがほとんど無いので、口をつぐんでいる鳥ということでツグミといわれています。
【2002年11月22日(金)】
○今日は二十四節気の一つの小雪(しょうせつ)です。まさに暦の通り今にも小雪が舞いそうな肌寒い日になりました。二十四節気は農作業の目安として古代中国の黄河流域の季節に基づいて定められているため、日本の季節感とは若干のズレがありますが、古くから日本の人々に親しまれています。
【2002年11月21日(木)】
○ジョウビタキの姿が公園の中で目立つようになりました。日本にはアジア大陸東北部の繁殖地から冬を越すためにやって来ます。オスは頭が白っぽく、のどが黒く胸と腹が鮮やかな橙色で、黒い翼の左右に白班があるので別名「紋付き鳥」といわれています。この鳥は、冬の間オスもメスも1羽ずつの縄張りを持って生活するので、シジュウカラのように群れになることはありません。漢字で表すと「尉鶲」。尉とは藤堂明保編の「漢和大辞典」によると「不良のやからを鎮圧して押さえる武官の意」ということなので、ヒタキ科の中で最も力の強いヒタキがジョウビタキであるということがいえます。またヒタキとは「火焚」のことで、鳴き声が火打ち石を打つ音に似ているためといわれています。
【2002年11月20日(水)】
○センター裏のマサキの枝にミノウスバが触角をピント立てて止まっていました。3pぐらいの大きさでハネは半透明、腹部は鮮やかなオレンジ色の毛があり、尾端は長い黒色の毛を持っていて、ハチのように見えます。幼虫は4月初め頃発生し、5月末頃までには葉をつづって白褐色の硬めの繭を作り蛹になり、11月初め頃の晩秋に成虫になって飛び出します。マサキの他ニシキギやマユミ、ヒサカキにも付きます。
【2002年11月19日(火)】
○薄青色で鐘形の花のリンドウが、枯れ草の中に咲いていました。花が咲いているのは日中だけで、太陽が出ない日や夜は閉じてしまいます。秋に咲く花の中で最も遅くまで咲いている花で、一面が枯れ野原になってもリンドウの花だけが美しく咲いている場合があります。漢名は「龍胆」で、その意味は龍の胆(たん)ということで、胆は肝臓をあらわします。肝臓は苦いといわれており、リンドウも古くから苦みのある健胃薬として利用されていました。「万葉集」での作例は知られていませんが、「古今和歌集」から「源氏物語」、「枕草子」などに登場する古くから知られているなじみ深い植物です。
【2002年11月17日(日)】
○この公園のような平野部の里山には、日本で冬を越すために北の方から渡ってくる冬鳥がたくさんいます。一部の冬鳥は、公園を中継地として通過するだけで今はいないかも知れませんが、今日現在、公園にやってきた鳥はマガモ、コガモ、ヨシガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、クイナ、アリスイ、アカゲラ、キセキレイ、ルリビタキ、ジョウビタキ、アカハラ、シロハラ、ツグミ、エナガ、ヤマガラ、カシラダカ、ミヤマホオジロ、アオジ、クロジ、アトリ、ベニマシコ、シメ、カケスの25種類です。
【2002年11月16日(土)】
○今日は平成14年度の「里山ボランティア」の一回目です。高尾の池脇の水路の補修と、ニセアカシアの木が公園の入口付近に増えてきたので間引きをしました。ニセアカシアの木を間引いている付近にヌルデの木があり、その先端に10pぐらいの球形で、袋状の小突起が30個以上も付いているヌルデミミフシという虫えいが見つかりました。通常、この虫えいは小突起が数個の塊なので、今回見つかった虫えいはまれに見る大きさだといえます。この虫えいはヌルデシロアブラムシにより作られ、多量のタンニンを含むことから江戸時代にはお歯黒の原料として栽培していたといわれています。
【2002年11月15日(金)】
○羽の一部が青く輝き胸と腹にかけては茶色で、頭は白と黒のごま塩模様のカケスが高尾の森で「ジャージャー」としゃがれた声で喚き立てていました。ドングリが大好物なので、この季節数個のドングリをのどの袋の中に入れて飛ぶカケスの姿が見られるかも知れません。カケスが運ぶドングリは、木のうろや幹の割れ目、または落ち葉の下などに隠して冬の間の餌にしますが、食べ残したドングリもたくさんあり、そのドングリは春になると芽を出します。またカケスは、小鳥の雛や卵も食べてしまうことから、鳥の寄り合いに誘われたカケスが「つらが黒くて行かれねえ」と断る場面が民話の中に出てきます。カケスは芸達者でもあり、作家の室生犀星は自分の飼っていたカケスはネコのまねがうまいといっています。
【2002年11月14日(木)】
○今日は県民の日です。公園のフィールドを利用しての「自然かんさつオリエンテーリング」を開催しました。公園の中に立っている番号のある柱のところで、例えば「17番の柱付近でドングリを拾ってくる」とか、「15番の柱付近でざらざらの葉っぱを探してくる」などの7つの問題に挑戦してもらい、センターに帰るという20〜30分のコースを設定しました。全問正解者には、問題の中で探してきたケヤキの葉っぱで「しおり」を作ってもらい参加賞としました。全部で191人の参加を得て大盛況でした。
【2002年11月13日(水)】
○公園に来る冬鳥の中で最も人気のあるルリビタキが、高山の針葉樹林帯から公園に下りてきました。あずま屋を北里の森方面へ行く水路脇に植えてあるドウダンツツジの上で、羽を小刻みにふるわせながら落ち着かない感じでいるところを目撃されています。目撃されたのは美しい濃紺が主体の成熟したオスで、公園に居着けば幸福の青い鳥として今年の冬鳥の人気をさらうことは間違いないでしょう。瑠璃色のヒタキなのでルリビタキと名付けられています。
【2002年11月12日(火)】
○11月4日には初霜が、7日には初氷が観察され、9日には熊谷地方で早くも初雪が舞い、例年になく早い冬の到来を告げています。公園の雑木林の葉も紅葉して枯葉色が多数混ざってきました。この公園の雑木林は武蔵野の一角を占めており、コナラやクヌギ、エゴノキなどの落葉広葉樹が多く、江戸時代になって薪炭林として人為的に育成された雑木林であると思われます。このような人為的に作られた雑木林でも四季の変化は美しく、センター2階の観察ロビーから眺めれば、高尾の池には冬鳥のマガモやコガモが泳いでおり、池を囲む雑木林の紅葉も急に寒くなったため色鮮やかになり、里山の秋の風景を楽しむことができます。
【2002年11月10日(日)】
○枯れたような褐色のカマキリが八ッ橋の欄干で見られました。このカマキリはコカマキリで、生まれたときから褐色の色をしており、緑色のカマキリがいなくなっても12月頃まで生き残っていることがあります。俳句の世界でいわれる「枯蟷螂(かれとうろう)」は、緑色のカマキリが自分の色を周囲の枯れ葉色に変えるということですが、カマキリは冬が近づいてもからだの色は変わりません。緑色のカマキリは数種類いて数が圧倒的に多いのですが、早く死んでしまいます。寒くなると共に小形で褐色のコカマキリだけが生き残り、枯れてからだが縮んだ「枯蟷螂」として俳句の世界で詠まれたものと思われます。○カマキリに近いナナフシは、冬が近づくとからだの色が緑色から褐色に変わることが知られています。
【2002年11月9日(土)】
○いつの間にか公園にもカラスがずいぶんと増えてきました。ただ、「カラス」というと「そんな鳥はいません」といわれそうですが、ハシボソガラスとハシブトガラスの2種類の鳥を一般にカラスと呼んでいます。くちばしが細く額が出ていなくて、お辞儀をするように頭を上下に動かしながら「ガアァ」「ガアァ」と濁った声で鳴くのがハシボソガラス、くちばしが太くおでこが出ているのがハシブトガラスです。そして、ハシブトカラスは主に森を、ハシボソカラスは畑や農地を住みかとしていましたが、近頃ではハシブトガラスが都市部に進出して住みついています。カラスの漢字は体が真っ黒なので、どこに目があるのかわからないということで、鳥の字から目を取って「烏」という字が生まれたといわれています。「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮 芭蕉」
【2002年11月8日(金)】
○モンシロチョウとスジグロシロチョウの関係について日浦勇氏が「海をわたる蝶」(この本はセンターにあります)でおもしろい意見を出しています。モンシロチョウはヨーロッパ、アジアの広い範囲に棲息していましたが、昔の日本にはいなかったという説です。今から400〜500年前にダイコンやカラシナを日本に輸入したときに、卵や蛹がくっいてきて日本に定住したというのです。一方、スジグロシロチョウは昔から日本に居たといいます。昔の日本では両者を区別せず「粉蝶(しろちょう)」と呼んでいたので、この説に根拠があるわけではありませんが、モンシロチョウがいなかったアメリカなどの新大陸へは、1860年にカナダのケベックを皮切りに、アメリカ合衆国、ハワイ、ニュージランド、オーストラリア、そして1961年に台湾へモンシロチョウが入り込んでおり、日本にも大陸から侵入したという仮説は十分説得力があります。
【2002年11月7日(木)】
○公園の一角でフユノハナワラビが、黄色で粟粒状の胞子葉を垂直にもたげて、一見多数の花が集まって咲いているような感じで立ち上がっています。人里に生育するシダ植物で、ヒガンバナと同じように地上部は秋から春まで生育し、夏には枯れます。江戸時代にオランダ商館の医師として来日したスウェーデンの医師で、植物学者のツンベルクは、禁を犯して採集したフユノハナワラビなど800余種の日本の植物標本を基に「日本植物誌」を著しましたが、この植物誌に記載されたフユノハナワラビの個体が、この植物の基準標本になっています。
【2002年11月6日(水)】
○ヤマガラも数は少なくなりましたが公園に下りてきているのが確認されています。背と腹が赤茶色をしたカラ類で、シイやカシなどの樹高のある常緑広葉樹林を主な棲みかにしています。以前は、11月初め頃に丸く熟して枝に吊り下がるエゴの実をついばむヤマガラがしばしば目撃されていました。ヤマガラとは山に棲むシジュウカラの仲間の鳥という意味ですが、この山は里に対しての山であり、丘陵ぐらいの意味のようです。以前上野の不忍池端で小鳥がおみくじを持ってくる芸を見ましたが、今思えばこの鳥はヤマガラだったようです。
【2002年11月4日(月)】
○頭には目立つ冠羽(かんう)があり、眉斑(びはん)と喉が黄色で、胸には黒色の三角形斑があるミヤマホオジロが、一夜堤付近で目撃されています。関西以西の西日本に比較的多いといわれている鳥で、茶褐色が主体で地味なホオジロの仲間の中ではその姿が一段と美しく感じられます。林縁部の藪の中をすみかとする冬鳥で、地鳴きのチッ、チッはアオジやカシラダカに似て区別しにくいといわれていますが、しばしばカシラダカの群れに混じり梢に止まって、小声で独りだけさえずっていることがあります。
【2002年11月3日(日)】
○公園にも秋に実を付けるドングリの木が沢山あります。公園にあるドングリの木はシラカシ、クヌギ、コナラ、マテバシイ、スダジイ、それにクリの6種類で、すべてブナ科に属します。ドングリには頭の尖ったドングリや丸いドングリ、それに大きいドングリや背が高いドングリなどがあります。宮沢賢治の「どんぐりと山猫」という童話は、これらのいろいろな形のドングリの中で、一番偉いドングリを決める裁判の判事を務める山猫が、子供の一郎を相談相手に呼ぶという設定です。あなたはどの形のドングリが好きですか?
○ミニ展示「公園のドングリ」を開始しました。パチンコ形式の「ドングリ生き残りゲーム」も作りましたので、ぜひご利用ください。
【2002年11月2日(土)】
○今日、木枯らし1号が吹きました。木枯らしとは「広辞苑」によると「木を吹き枯らす意」とあり、木の葉を吹き飛ばして木を枯れ木のようにする風ということがいえます。公園入口付近の街路樹として植えられたユリノキの葉は黄葉し、公園のケヤキやコナラ、クヌギなどの葉もまもなく落ち、秋枯れの物寂しい風景になってきます。紀元前3世紀の中国の戦国時代に編まれた古代中国の二大詩集の一つ「楚辞(そじ)」は、秋を悲哀の季節としてとらえ情感豊かに詠い上げましたが、その楚辞の文学の影響をまともに受けた古代日本の詩人たちは、それぞれの言葉で秋の悲しみを詠い、抒情あふれる作品を残します。このことをうけて日本民族は秋を悲哀の季節としてとらえるようになります。
【2002年11月1日(金)】
○公園では今年も薬草のスーパースターのセンブリが、白い花を咲かせています。日当たりのよい草地に生える二年草で、1.5pぐらいの星形の白い花の中に赤紫色の細い条が入っています。一見弱々しく見える植物ですが、よく名の知られた薬草で胃薬として重宝されました。非常に苦く、土瓶で煮詰めて千回振りだしてもまだ苦いことから、センブリ(千振)の名が付けられたといわれています。しかし、古い時代のセンブリはノミやシラミを殺す殺虫薬として使われ、江戸時代に著された貝原益軒の「大和本草」にも、胃薬としての薬効にはふれられていません。センブリが胃薬として用いられるようになるのは江戸時代の後期ごろからです。
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